1. マデレーン・オルブライト
1937年の
プラハで、マリエ・ヤナ・クーベロヴァー、後にマデレーンとして知られる女の子が生まれました。父親は外交官で、第2次世界大戦前に家族を連れロンドンに脱出しています。戦後一度チェコスロバキアへ戻りましたが、チェコが共産圏となった後はアメリカ合衆国に移住しました。アメリカで
マデレーン・オルブライトは政治学を学び、博士号を取得しました。その
専門性の高さと人脈を元に政治の世界にはいり、そこで当時の合衆国大統領ビル・クリントンの目に止まったのです。そして彼がオルブライトを
アメリカ国連大使に任命しました。さらに1997年には彼女を
合衆国国務長官として選任、これによってプラハ出身のオルブライトはこのポストについた
初めての女性となりました。彼女の功績を
バラク・オバマも認めており、2012年には
大統領自由勲章‐アメリカの文民に与えられる勲章としては最高位のものを彼女に授与しました。
2. マルティナ・ナヴラーティロヴァー
もう1人アメリカ合衆国と自らの運命を結び付けたチェコ人女性は、
テニスプレイヤーのマルティナ・ナヴラーティロヴァーです。キャリアのはじめはチェコスロバキアの選手としてプレーしていましたが、後にアメリカ合衆国を代表するようになりました。332週間世界ランキングのトップに立っていたことから、彼女は
世界で最も強い女性テニスプレイヤーの1人になりました。グランドスラムを合計で59回制覇しています。これ以外に、彼女は世界中で多くの福祉プロジェクト支援を行っています。チェコ国内では2002年の大洪水の後、プラハの
ストロモフカ公園の再建に協力しました。また、マルティナ・ナヴラーティロヴァーは世界のゲイやレズビアンの誇りでもあります。まだ
ホモセクシュアルな性的指向を認めることがなかった時代からそれを認めました。現在、同性愛者の権利を求める運動やこういった人々に対する差別と戦う運動を頻繁に行っています。
3. エヴァ・イイルジチュナー
私達の一覧の次に出てくる女性は、
ズリーンで生まれた世界的な建築家
エヴァ・イイルジチナーです。長くイギリスで生活していますが、自らを
モラヴィア出身者として位置づけています。プラハで建築を学び、1968年に奨学生として渡ったロンドンで今も生活しています。主に
ロンドン、ニューヨークのブティックのデザインで有名ですが、
ヴィクトリア・アルバート美術館のレセプションとエントランスも彼女の手によるものです。チェコをなおざりにすることはなく、例えば自らの故郷、ズリーンのトーマス・バチャ大学のいくつかの建物もデザインしました。さらにプラハのダンシング・ビルの内装にも関わっています。
4. マグダレナ・コジェナー
マグダレナ・コジェナーは世界的
オペラ歌手で、イギリスのナイト(Knight Bachelor)を与えられた夫を持つ女性として
レディ・ラットルと称され、家族と共にベルリンに住んでいます。彼女の夫はイギリス人指揮者のサー・サイモン・ラットル;結婚式はマグダレナ・コジェナーの故郷
ブルノで挙げています。有名な
メゾソプラノ歌手は、レディのタイトル以外にも多くのタイトルを得ています。例えばオーストリアのザルツブルクで行われる
モーツアルト国際コンクールで1位となり、その輝かしいキャリアをスタートさせました。彼女のキャリアの中でも特筆すべきは
ニューヨークのメトロポリタン・オペラに何度か出演していることでしょう。コジェナーは複数言語を話せますが、子供とは
チェコ語のみで会話しているそうです。
5. ダグマル・ペツコヴァー
著名チェコ女性オペラ歌手の中に間違いなく数えられるのは、
メゾソプラノ歌手のダグマル・ペツコヴァーでしょう。彼女は
東ボヘミアのフルディムから遠くないところで生まれました。そのキャリアにおいてウイーン、マドリッド、ロンドン、東京、チューリッヒ、モントリオール、モスクワ、他多くの場所で公演してきました。例えばエジンバラやザルツブルクの音楽祭など、大型の音楽行事に定期的に出演しています。権威ある音楽祭の
プラハの春にも出演しました。
6. ダリア・クリメントヴァー
他にも全世界の舞台を踏む著名チェコ人女性がいます。彼女は舞台で歌いませんが、最高のダンスを見せているのです。
ダリア・クリメントヴァーは繊細で優雅なバレリーナで、プラハ
国民劇場のプリマです。
ケープタウンのバレエ団に所属した以外にも、
イングリッシュ・ナショナル・バレエ団の第1ソリストとして活躍しました。彼女のダンスをイギリス人観衆や当地のメディアも認めており、ダリア・クリメントヴァーが39歳のときのクルミ割り人形でのパフォーマンスは大変高く評価されました。2010年に公演数通算
1000回を超える記録を作っています。
7. エリシュカ・ユンコヴァー
世界的に著名なチェコ人女性の中には、ハンドルを握る
エリシュカ・ユンコヴァーも含まれます。
オロモウツ出身の
モータースポーツレーサーで、彼女が出場していた時代には世界最速の女性レーサーでした。Grand Prixの歴史の中で女性として唯一、レースに出場しているトップクラスの男性レーサーたちと並ぶ記録を出してみせたのです。レースでは
Bugattiを操縦していました。はじめは同様にレーサーであった夫の同乗者としての出場でしたが、のちに自ら操縦するようになったのです。そのキャリアは1928年に夫が亡くなったことをきっかけに終了しました。しかしその功績から、
マイスター・オブ・スポーツに値するものとしての国内タイトルを与えられています。
8. フランティシュカ・プラミーンコヴァー
もし、
フランティシュカ・プラミーンコヴァーという名前に引っかかるものを感じ、最近この名前を聞いたように思うのであればあなたの感覚は正しいのです。彼女が生まれた2月5日に
Googleが彼女を思い起こしました。彼女の生誕141周年の機会に、ロゴをアニメ形式のDoodleにしたのです。これによって同社は、フランティシュカ・プラミーンコヴァーによるチェコやそれ以外の国々での
女性の権利への多大な貢献に敬意を表したのでした。フランティシュカ・プラミーンコヴァーはGoogle Doodleで取り上げられた
3人目の歴史上のチェコ人女性です。これによって、作家のボジェナ・ニェムツォヴァーやイラストレーターのヘレナ・ズマトリーコヴァーに並びました。