ホレショフのユダヤ人の歴史
ホスティーンスケー・ヴルヒ(ホスティーン連峰)の麓に位置するホレショフのユダヤ人社会は15世紀頃から町の住民社会と一体になっていました。毎年世界各地から年間何百人もの正統派ユダヤ人が訪れる世界的にも希少なシナゴーグやラビ・シャフの墓もある神秘的な雰囲気の漂うユダヤ人墓地では、地元住民たちの運命、当地の伝統や習慣、数百年にわたる平和と軋轢の歴史を今日でも窺い知ることができます。

ホレショフのユダヤ人社会が最も繁栄した時期は19世紀中葉で、ユダヤ人が住民の3分の1を形成していました。当時独立した町だったユダヤ人街は、後に残りの住民社会を取り込み現在に見られる町の形になりました。しかし後年、ホレショフのユダヤ人社会はホロコーストにより消滅し、現在当地ではユダヤ文化週間のような機会にユダヤ人の伝統文化に接することができます。

世界的にも希少なシナゴーグ

ホレショフのユダヤ人の歴史を探るにあたり見逃すことができないのが当地のシャフ・シナゴーグです。16世紀に建てられたシャフ・シナゴーグはいわゆるポーランド式で唯一現存するシナゴーグで、世界的にも希少な文化財とみなされています。シナゴーグの礼拝堂に入ると、トーラーの朗読が行われる見事な装飾を施されたビーマー(講壇)が目に入ります。急な階段を上って、もとは学校の教室だった女性専用ギャラリーの部屋に入ることができます。花や果物、動物などのモチーフを探しながら、美しく装飾された木造天井を眺めていると心が安らぎます。

シャフ師の墓を訪ねる

ホレショフのユダヤ人の歴史探訪の次の行き先はユダヤ人墓地です。ホレショフのユダヤ人墓地の歴史は15世紀半ばまで遡ります。敷地全体に立ち並ぶ1500基を上回る数の墓石を見学することができます。とりわけ重要なのはシャフと呼ばれたラビ・シャブタイ・ベン・メイル・ハ=コーヘンの墓です。シャフ師の墓と彼の名を冠したシャフ・シナゴーグには外国人旅行者が頻繁に訪れています。たいていはアメリカやイスラエルなど大規模なユダヤ人共同体がある国からの訪問者です。 

黙祷を捧げるために

ユダヤ人墓地の儀式の家は、20世紀の悲劇的な出来事による犠牲者を追悼する場所です。内部では植物をモチーフにした装飾が施され祈りの言葉が記された大きな三枚の木製のパネルをご覧になれます。第二次世界大戦でホロコーストの犠牲者になった253名のユダヤ人の氏名を刻んだ石板が置かれています。