自転車、オートバイ、そして自動車
チェコ最大の自動車メーカー、シュコダ・オートの歴史は非常に古く、その発端は1895年12月17日(火)まで遡ります。この日、熱心なサイクリストでもある機械工のヴァーツラフ・ラウリンと書店経営者ヴァーツラフ・クレメントが、
ムラダー・ボレスラフで自転車を製造する小さな会社を設立しました。「ラウリン&クレメント」と社名を定められたこの会社は、4年後にはオートバイの生産も開始しましたが、これにより同社は
オーストリア=ハンガリー帝国およびドイツ圏において最初のオートバイ製造工場となりました。1905年には、ここで最初の自動車「ヴォワチュレットA」の製造が開始されますが、これが大ヒットしたため、これを機にラウリン&クレメント工場はたちまち自動車工業界トップに躍り出ました。第一次世界大戦後は、メード・バイ・
ラウリン&クレメントのラベルのもと、
乗用車のみならず、
トラックあるいは航空機用エンジンも生産されるようになりました。
舵取りはエミル・シュコダ
1925年、ラウリン&クレメントに強大な投資
パートナー、プルゼニュの機械コンツェルン・シュコダが参入しました。創設者はどちらもそのシェアを売却し、これにより会社の「舵取り」を
エミル・シュコダに引き渡した形となりました。このシュコダの投資により、ムラダー・ボレスラフ工場は修築され、ベルトコンベア生産方式が導入されました。その後数年間でシュコダは売上トップを達成、1936年末には、乗用車、トラック、バス、市電車両を製造する近代的自動車メーカーとしての地位を確立しました。第二次世界大戦後には、シュコダの一大機械コンツェルンは国営化され、その後各部門の解体が進められました。今日の
シュコダ・トランスポーテーション(本社=プルゼニュ)、そして
シュコダ・オート(本社=
ムラダー・ボレスラフ<
プラハより北東に50キロほど行ったところ>)は、このときのシュコダ社解体により発生したものです。
ガソリンの残り香漂う歴史館
1991年4月、シュコダは再び強力な投資者、ドイツの巨大企業
フォルクスワーゲンを得て、その歴史に新たな1ページを刻みました。その3年後には、総生産台数100万台を達成しています。
ムラダー・ボレスラフ工場内の、1928年まで自動車製造所として使用されていた建物は、現在
シュコダ・オート博物館になっています。この博物館は、
シュコダ・ブランドの全歴史を集約したもので、ここでは
貴重なクラシック・カーのコレクションもご覧いただけます。博物館は
年中無休で、外国語によるガイド付き見学ツアーもオファーされていますが、これは事前予約が必要です。また
工場見学も可能で、自動車製造の様々なプロセスを直に見ることができます。但し工場見学の方は、月曜日から金曜日の労働日のみとなっていますのでご注意ください。