1. ベートーヴェンのピアノ、モーツァルトのチェンバロ、そして粘粘版石でできたレコード
フラデッツ・ナト・モラヴィツィーという城
オストラヴァの街から一時間以内で行ける距離に、北モラヴィアの最も貴重な宝庫の一つ、フラデッツ・ナト・モラヴィツィーという城があります。過去にはこのおとぎ話に出てくるように美しいこの場所を、ドイツ皇帝のウィリアム二世やメッテルニヒ首相などが訪れました。
フラデッツ・ナト・モラヴィツィーという城
この場所を訪れた有名人の中で最も有名な人物といえば間違いなく、驚異的な作曲家、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンです。ここでの彼の滞在は類まれなベートーヴェンのピアノや、ナポレオンのためのコンサートを拒否したという逸話で有名です。彼は滞在中に急いで近くの町、オパヴァまで出かけていき、運命協奏曲のリズムで有名なオストロジュナー通りの家のドアを叩いたという逸話があります。
フラデッツ・ナト・モラヴィツィーという城
城の中には、マックス・リホノフスキー王子がロンドン滞在中に使用した珍しい馬車も展示されています。彼は、当時の在英国プロイセン大使であり、勇敢な平和主義者として第一次世界大戦の勃発を回避しようと努めた人物です。また、彼の曽祖父がモーツァルトの弟子であったため、ここでは、ウィーンから持ち込まれた天才作曲家モーツァルトのチェンバロも見ることができます。
フラデッツ・ナト・モラヴィツィーという城
フラデッツ・ナト・モラヴィツィーからすこし離れたところに、スレート(粘板岩)鉱山の荒々しい景色が広がる地域があります。ここでは、人々が地底から青灰色の鉱物を抽出し、精製しようとしました。ここにある、粘板岩博物館を訪れると鉱山の歴史を学ぶことができます。また、ラアボヴァ坑道や、フラシャール鉱山では広大な地下空間を歩いてみることができます。ここでは、石板を割る方法を教えてもらったり、粘板岩で自分オリジナルのハート型の石板やレコード盤を作ることができます。
フラシャール鉱山
知っていましたか?
ここで取れたスレート(粘板岩)はウィーンのシェーンブルン宮殿やブタペストの国会議事堂の屋根の瓦として屋根を覆いました。また、ビリヤード台やカミソリの刃にも使われました。
「野生のエルザ」の作者である、世界的に有名な作家であるジョイ・アダムソンもここシレジア地方で生まれ育ちました。
おいしいお店は?
フラデッツ・ナト・モラヴィツィー: ホテル・ソナタ↗
スレート鉱山地域:ダヴィドゥフ・ムリーン↗、ペンション ショーンヴァルト↗
行き方は?
フラデッツ・ナト・モラヴィツィーまで:車で高速道路11号線をオパヴァ方面へ。電車ではオストラヴァ・スヴィノフ駅からオパヴァ駅まで行き、バスに乗り換えて約1時間ほど。
行き方を検索↗
ブジドゥリツェ周辺まで:車で高速D47号線でフルネックまで行き、ヴィ―トゥコフを通ってブディショフ・ナド・ブディショフスカまで。必要時間は約1時間ほど。
2. 戦時中の首相の帽子、フロイトの初恋、レオシュ・ヤナーチェクの女狐
ノヴィー・イチーン
次に紹介する旅の最初の目的地は、帽子の生産で世界的に有名な町、ノヴィー・イチーンです。ここの観光案内所では帽子づくりの秘密を教えてもらうことができます。質問形式のツアーを終えたら、帽子の展示に進みます。ここでは珍しい工芸品の数々を鑑賞できます。たとえば、サラエボ事件で暗殺されたオーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者のフランツ・フェルディナント大公の頭飾りや、チェコスロヴァキア共和国の初代大統領のトマーシュ・ガリク・マサリクの帽子などが展示されています。また、英国首相のチャーチルの帽子もここ、ノヴィー・イチ―ンで作られました。
次の目的地は、精神分析の父、ジークムント・フロイトの生誕地、プシーボルです。この街の広場から少し行ったところに、世界的偉人が産声をあげた家があります。この家は現在、博物館として開放され、質問形式のツアーに参加しながら、フロイトの生涯を紹介する展示を見ることができます。フロイトは3歳の時に両親とこの街を離れましたが、高校生の時には夏休みをこの場所で過ごし、自身の家族と親交のあった人物の娘のギゼラ・フルスと恋に落ちました。彼女はフロイトの最初の「恋愛体験」として知られています。彼はこの町に深く、そして温かい感情を抱いていたと言えます。
最後の目的地は、フクヴァルディへの日帰り旅行です。有名なオペラ「利口な女狐の物語」の作者である、世界的に有名な作曲家レオシュ・ヤナーチェクの生家の近くには、中世の城跡があります。周囲には広大な畑や大きな公園があり、散策にはぴったりです。レオシュ・ヤナーチェクの生家を訪ねることも、もちろん可能です。また、彼がオルガンを演奏していた、バロック様式の聖マキシミリアン教会も魅力的です。
知っていましたか?
帽子屋のヒュッケル家のヒューゴは、テクノロジーと発明に大きな興味を持っており、1931年宇宙への最初のロケットの打ち上げに立ち会いました。アドルフ・ヒトラーに協力したロケット技術開発者のヴェルナー・フォン・ブラウンとは違い、ヒュッケルは協力を拒み、ナチス・ドイツのロケット開発には参加しませんでした。
おいしいお店は?
ノヴィー・イチ―ンとその周辺: ホテル・プラハ↗、ザーメチェック・ポド・フラデム↗、ウ・ドブレー・フラベェンキ↗
フクヴァルディ: ウ・ナーモジュニーカ↗、レオシュ・ヤナーチェクレストラン↗
行き方は?
車でノヴィー・イチ―ンまで高速道路D47号線で行き、その後D48号線でプシーボルを経由して、フクヴァルディまで行くのが理想的です。
3. ベツレヘムの甘い耳、ダカールラリーを制覇したタトラ
シュトラムベルク
小さな町であるシュトラムベルクは、その絵のように美しい風景から、モラヴィアのベツレヘムと呼ばれています。伝説によると、タタール人の侵略があった際、キリスト教徒たちが耳を切り落とされたとされています。幸いなことに、その後タタール人は撤退しました。その勝利のお祝のために、耳をかたどったジンジャーブレットの「シュトラムベルクの耳」が今はお土産として作られています。この町の最大の特徴は、素晴らしい景観を持つ城塔のトゥルーバや、地ビールのトゥルバチュビールを味わうことができる、シュトラムベルク醸造所です。シュトラムベルクはシプカ洞窟でネアンデルタール人の子供の顎の骨と、青銅器時代の品物が発見されたことで有名になりました。シプカ洞窟がある場所からは、町全体を見渡すことができ、その景色は忘れられない風景になるでしょう。
シュトラムベルク
シュトラムベルクを訪れた後は、タトラ車の生産で知られる隣町コプシヴニツェもお見逃しなく。ここではタトラ技術博物館とタトラトラック博物館を訪問できます。博物館には、オーストリア・ハンガリー帝国時代の初の自動車である「プレジデント」や、パリ‐ダカールラリーで栄誉を獲得したレーシングカーなどの希少な車が展示されています。
タトラトラック博物館
シュトラムベルクとコプシヴニツェの町はどちらもベスキディ山地に位置しています。ベスキディ山地の中で最も人気があり魅力的な場所の一つに、プステヴニがあります。有名な建築家ドゥシャン・ユルコヴィッチがアール・ヌーヴォー様式で設計した豊かな色彩に彩られた木造ログハウス建築や、スラヴの神であるラデガストの記念像、そして雲の中を散策できるウォーキング・トレイルを楽しむことができます。リフトがあるので、楽に山頂に行くことができます。山頂からの眺めは本当に息を飲むほどの美しさです。
プステヴニ
おいしいお店は?
シュトラムベルク醸造所↗、ワラキア居酒屋ウ・ヤニーカ↗、ホテル・トロイェル↗
行き方は?
車でD56号かD48号線の高速道路に沿って、シュトラムベルクまで約50分。隣町のコプシヴニツェからトロヤヴィッツまで行き、そこからプステヴニまでケーブルカーで行くことができます。