降臨説(アドベント)
クリスマスの祝日の準備期間で、クリスマスイブの4週間前に始まるアドベントはすでに11世紀に見られました、この期間の最も重要な日に当たるのが、アドベントの日曜日で、この日にはアドベント・リースに飾られた4つのろうそくが順番に灯されていきます。その昔アドベントは、人気のある民芸伝統と結びついた断食の期間でした。一年で最高に美しいこの時期は、伝統があちこちにみられます。例えばお菓子を焼いたり、ドライフルーツやわらやクルミで飾りをつくったり、他にも鉛の鋳込みや将来の占い、それに扉にヤドリギを架けたり、その下で幸福のためにキスを交わしたり、クルミの殻に飾られたろうそくを灯したり、ベツレヘム(伝統的なキリスト降誕場面の模型)を飾ったりします。
聖オンドレイの占い
最初のアドベントのイベントになるのは、11月30日の聖オンドレイの祝日の占いでした。鉛が注ぎ出され(液体になった鉛を水に注ぎだし水面にできた形で占うもの)、まだ結婚していない若い女性たちは、真夜中に柵を激しく揺らして回りました。誰かやって来ないかを確かめるのです。足音が聞こえる方から、花婿がやってくるといわれていました。
バーボルキ-小枝と女性たち
12月4日の聖バーボラの日には、最初の太陽の光線が差し込むと、10年は古い桜の木の枝を切り取りました。バルボルカという小枝ですが、クリスマスイブに満開になると、まだ結婚していない女の子に将来花婿が見つかると言われました。20世紀初頭になってもまだ、聖バーボラ、またはバーボルカの祝日の前夜には、髪の毛をおろして白い服を着た若い少女たちが裸足で歩き回りました。ろうそくの灯った大きいカボチャを持って子供たちを驚かせ、家々の前で悪運を「追い払い」ました。よい子供たちにはお菓子や果物を配って回り、悪い子供たちをほうきで払い出すのです。
聖ミクラーシュが贈り物を持ってきます
聖ミクラーシュの伝統は、今日まで残っています。ミクラーシュは3世紀に南トルコで生まれ、彼を巡って多数の伝説が生まれました。街や村では15世紀からこの伝統が取り入れられ、12月5日の聖ミクラーシュの夜には、カーニバルと似たようなパレードが行われました。その他の仮面と一緒に聖ミクラーシュも家々を回りました。ドラゴン、煙突掃除人、悪魔、トルコ人、死に神、天使や悪魔もそろっています。今日に至るまでパレードに残っているのは、3人で、ミクラーシュ、天使と悪魔です。そして家々を回り幸運を配って回るのです。
ほうきを持った聖アムブロシュ
聖アムブロシュの祝日の12月7日は、教会がこの聖人を承認している場所では、その伝統を守っていました。アムブロシュとなった1人の男性は、長い白い上着と黒いとがった帽子を着て、顔をベールで覆い隠しました。片手にはお菓子の入った袋、もう一方には紙で貼ったほうきを持っていました。日暮れになるとアムブロシュは教会で子供たちを待っていました。子供たちは彼に向かって勇敢にも叫び声を上げると、アムブロシュは教会の周りを追いかけ回りました。地面のあちこちにお菓子を落としていき、それを拾うとほうきでたたかれました。
ルーシーが夜を飲み込みます
最後の有名なアドベントの人物は聖ルーシーです。この聖人は284年に生まれました。その後、結婚を拒んだため、ルーシーは娼婦と宣告され、喉きりの刑を受けました。12月30日の聖ルーシーの日は、ユリウスの旧暦では冬至でした。この時期から言い習わし「ルーシー-夜を飲み込み、昼を増し加えない」が生まれました。この日には厳格に糸紬と羽毛をむしり取ることが禁止されます。ルーシーの見回りでは、白いベールに包み、手にろうそくを持った女性たちが、家々を見て回り、誰か違反を犯していないかを調べます。顔にはコウノトリのくちばしに似せた木と紙で作った仮面をかぶり、気味悪くつつきます。ルーシーが扉をノックしてこういいます:「さあ行こう、行こう、夜を飲み込みに」。