【リレーブログ2024③】四半世紀前の私とチェコの音楽と歴史

はじめに〜四半世紀前の私とチェコ〜


シンガーソングライターの大橋歩美です。
 
私とチェコとの出会いは、高校の時の部活での演奏旅行です。
 
高校入学当初のこと。それまでに聞いてきた音楽の影響で、ピアノの経験はあり、歌うことにも興味はあったことに加えて、触ったこともないバイオリンにも強い興味があり、当時、学内一の部員数だったオーケストラ部に入部し、曲の主旋律を演奏する1stヴァイオリンパートで演奏できることになりました。
 
高校1年生の夏頃のこと。ヨーロッパへの演奏旅行を翌年の3月に敢行するということを知らされました。それまでのコンクールの実績などからヨーロッパへの演奏旅行には、過去に何度か行っていたそうです。
 
私の人生初の海外旅行でもありました。行き先は、ドイツとチェコ。「2000年ドイツにおける日本年」と、毎年5月に開催されている「プラハの春音楽祭」の先駆けのコンサートの出演という形でした。そして、プラハでの演奏会場は、普段一般公開されていない大統領府プラハ城スパニッシュホール。
 
ドイツではドイツの作曲家のワーグナーとブラームスの曲を演奏しましたが、チェコではドヴォジャークのスラヴ舞曲第1集第8番、チェロ協奏曲の他、日本の作曲家の曲も演奏しました。
 
大統領府プラハ城公式YouTubeチャンネルより
スパニッシュホールの中の様子

 
渡航前に簡単な挨拶や現地情報を教わりましたが、高校1年生であまり物事がよくわかっていない上に、当時は、ネットや携帯の普及直前期で、今ほど情報収集が容易ではありませんでした。
旅行代理店からの渡航前研修と、研修時に配布された冊子と、研修で聞いたお話のみが旅の知識となりました。
 
乏しい予備知識でいざ旅へ。
大所帯での移動だったことから、現地ガイドさんの近くにいる人や部活の顧問の先生方が、気を利かせて伝えてくれる伝言ゲームで話を聞いていました。初めて訪れた異国の地の目に見えるもの、音、匂い、雰囲気など全てが初めてのもので、ネットの普及している今よりも、事前に得られる知識量は相当乏しいので、かなり新鮮で、貴重な体験をしていると言う特別感がひとしおでした。
 
ヴルタヴァ川の夕景とプラハ城のライトアップ(Pražské hrad)
©️チェコ政府観光局デジタルメディアライブラリー、写真家:Martin Rak

おもちゃ箱のようなドイツ、おとぎの国のような中世の面影をそのまま残したチェコの古都プラハ。当時見聞したことで忘れかけていることもあるものの、現地での体験の大半は、今でも鮮明に記憶に残っています。
プラハ城の衛兵、カレル橋、旧市街広場と天文時計、聖ヴィート教会のステンドグラスのミュシャ(チェコ語では ムハMucha)、市民会館の中にあるスメタナホールで聴いたドヴォジャークのレクイエム。
 
聖ヴィート教会のミュシャ(チェコ語では ムハMucha)が手がけたステンドグラス


プラハ市民会館(obecní dům)
©️チェコ政府観光局デジタルメディアライブラリー

今でもクラシックは大好きな音楽ジャンルの1つです。
クラシックとアフリカンアメリカンによる黒人霊歌やソウルミュージックから派生していった現在耳馴染みのあるジャズ、R&B、ロック、ポップス、そのほかの各国に根付いている伝統的な音楽も、多すぎて全てを知るわけではないですが、私にとってはどれも音であり、ジャンルの壁で取っ付けないと言う理由にはならず、壁はなく繋がっているもので、面白くて興味深いです。
 
物心つく前から耳にする音をキーボードや歌で再現しようと試みたり、触ったことのない楽器でも面白そうと思うと試奏してみたくなったり、触れたことのないジャンルでも興味が枠と聞いてみたくなったり、とにかく知らないことが多いなとその度に再認識させられながらも色んな「音」がとにかく好きで楽しい私には、偶然のご縁ですが、チェコを音楽を通して知れたことは、今考えても奇跡的です。
 
実はその後は、チェコへは訪れる機会には恵まれておらず、日本にいながら、書籍やチェコのサイト、チェコとご縁のある方々からのお話などから得た知識により書くものが多いのですが、これからチェコに行こうと思っている人や、中々、思い立ったから行こうとすぐ行ける場所でもないチェコを日本にいながら触れてみたいと思う方のお役に立てれば何よりです。
 
ここからは、チェコの歴史と音楽の関係性と、今、耳にすることができている楽曲についてを簡単に紹介していきたいと思います。
 
私自身が、チェコの何を知りたいのか、何が好きなのかと思った時に、一番自分自身関心があった事項が音楽であったこととで、プラハに感じた魅力も、中世の歴史を色濃く残したおとぎの国のような「音楽の都」でした。
ただ、それだけの知識では、それ以上のチェコの魅力はわからない、それであれば、音楽をジャンル問わず深掘り、音楽を深掘りするには、歴史も同時に深掘れば理解もしやすいのではないかと思って、日本国内にいながら可能な範囲で得られた知識となります。
 
大まかな歴史区分で分けて、歴史の変遷がある中で、どのような音楽がどのような経緯で生まれたのかを簡単ながら記していきます。18世紀〜20世紀の作曲家については、著名な作曲家についてが中心となります。また、日本語の文献、チェコ語のサイト、研究している方や音楽家の方々から伺ったお話なども参考にしていますが、拙文とはなることご了承下さい。
 

チェコの歴史概要

1.民族の大移動と3つの王国

紀元前          ケルト系ボイイ人の定住
1世紀           ゲルマン系マルコマンニ人の定住
5-6世紀        民族の大移動
                     ゲルマン系民族の西への移動西スラヴ系チェック人の定住
7世紀           フランクの商人サモによりサモ王国建国、サモの死後王国滅亡
9世紀半ば    大モラヴィア国建国、マジャール人の侵攻で100年ほどで滅亡


2.ボヘミア王国の興隆〜宗教戦争

10世紀         ボヘミア王国(プシェミスル朝)建国
11世紀         ポーランドの占領
                    神聖ローマ皇帝が仲介しドイツ人の入植を受けながら国土を回復、発展
                  (当時の神聖ローマ皇帝はドイツ人が建国した国や都市の連合組織)
14世紀初頭    プシェミスル家断絶
14世紀半ば    ルクセンブルク朝カレル4世の治世にボヘミア王国黄金時代


3.ハプスブルク家の統治が始まるまで

15世紀初頭    ヤン・フスの異端審問と焚刑
                       反教会(フス派プロテスタント)、反ドイツ・王(ボヘミアの民衆・農民)
                       対  神聖ローマ帝国 (十字軍を編成)・ドイツ・ドイツ寄りの王侯貴族のフス戦争へ
                       →フス派の信仰を認められる形で戦争終結
1526年           当時のボヘミア王が〇〇オスマン帝国との戦時中に没す
                       姻族だったハプスブルク家によるボヘミア統治開始
                       →宗教改革の弾圧の強化、ゲルマン化政策が進む
1618年           30年戦争(フス派による反乱)
                       フス派が勝利を続けていたが、次第に弱体化し敗北
17世紀-18      ハプスブルク帝国の統治下に
 

4.オーストリア=ハンガリー帝国時代

18世紀           フランス革命(ハプスブルク家出身のマリー=アントワネット斬首刑)
                      封建制度への反発と民主化を求める民衆が奮起しオーストリアハプスブルク帝国弱体化
1867年          オーストリア=ハンガリー二重帝国としてオーストリア帝国存続
19世紀中頃    ナポレオンの台頭と没落
                       反帝国主義、民主化、民族主義運動が波及
                       マサリクらチェコスロヴァキアの建国を目指す人々が登場


5.第一次世界大戦、第2次世界大戦

1918年            第一次世界大戦終結
                       オーストリア=ハンガリー帝国崩壊
                       チェコスロヴァキア建国(初代大統領トマーシュ ガリグ マサリク)
1938年           ミュンヘン会談
                       ベネシュ大統領が招待されないままドイツへのズデーテン地方の割譲、ボヘミア地方とモラヴィア地方(現在のチェコ)の
                       保護領化、スロヴァキアの独立(事実上のチェコスロヴァキア解体)が決定
1938年9月     ドイツがポーランドへ侵攻(第二次世界大戦勃発)
                       チェコ国内でもユダヤ人の迫害あり(テレジン要塞は政治犯収容所からユダヤ人の中間収容所も兼ねるようになる)、
                       リディツェ村の悲劇、他


6.プラハの春の終焉〜ビロード革命〜現在

1945年4月     スロヴァキアがソ連軍により解放
                      亡命先のイギリスから帰国したベネシュが共産党政権を樹立
1945年5月     ソ連軍による解放
1945年9月     第二次世界大戦終戦、議会制民主主義が復活
1947年以降   米国主導の経済復興計画マーシャルプラン発表された後、ソ連の介入受ける
1948年2月     次第に反米路線を取るようになる
                       反共産主義政党、反共産主義の議員への粛清が厳格化され、共産党による一党独裁体制へ(「二月事件」などのクーデター)
1963-1968年  冷戦下でスターリン体制批判と民主化が徐々に進む(プラハの春)
1968年1月     ドゥプチェク第一書記が独自の社会主義路線を発表 
                      「人間の顔をした社会主義」
1968年8月     ワルシャワ条約機構軍がプラハに侵攻、プラハの春の終焉と正常化
1977年           ヴァーツラフ•ハヴェルらにより憲章七十七が発表され体制に抗議
1989年11月17日-   
                       東欧各国で活発になった民主化運動がチェコスロヴァキアにも波及しビロード革命
                     (sametová revoluce サメトヴァー レヴォルツェ)へ
                        ※流血を伴わなかったことから滑らかなビロードに例えて名付けられた)
                        →冷戦終結、ソ連崩壊、ロシア連邦の建国、東欧各国のソ連からの独立へ
 
1990年           チェコスロヴァキア独立
1993年1月      チェコとスロヴァキアへ分離独立
                      (流血がなく穏便に別々の国へと分離独立=ビロード離婚)
1995年            経済協力開発機構(OECD)加盟
1999年            北大西洋条約機構(NATO)加盟
2004年5月       ヨーロッパ連合(EU)加盟
2025年             現在

 

チェコの歴史と音楽

1.民族の大移動とモラヴィア王国

紀元前ごろから6世紀以前のまだチェコの基礎も出来上がっていない今のチェコ人の祖先の西スラブ民族はおらず、ケルト系ボイイ人が定住していました。その時の名残で、ケルト文化の楽器が残っています。
 
  • バグパイプ (dudyドゥディ)
毛皮と動物の頭部(もしくは頭部を模したもの)がついており、袋状の箇所を脇に挟んで空気を送り音を出す)。よく知られているスコットランドのものはマウスピースから奏者が息を入れて音を出します。
 
  • 各国に残るバグパイプを楽しめる国際イベント
https://www.youtube.com/watch?v=LrjFO2nIKaU&t=5s


南モラヴィア地方のストラコニツェで隔年開催される国際バグパイプフェスティバルのチェコの出演者たちの行進の模様(mezinárodní dudácký festival Strakonice)
https://www.dudackyfestival.cz/en/
©️チェコ政府観光局デジタルメディアライブラリー、写真家:Píseckem - s.r.o.

その後、9世紀〜10世紀初頭にかけての約100年間だけ、現在のモラヴィア地方からスロヴァキア付近にかけて大モラヴィア王国がありました。この時代でよく知られているのがビザンツ帝国から派遣されてきたキュリロスとメトディオスの二人の宣教師です。キリスト教の布教とスラブ系民族独自の教会の建造、ラテン語の聖書をスラブ民族独自の言語に翻訳した聖書を普及するために派遣されました。グラゴール文字はスラヴ民族の言語としてモラヴィア王国にもたらされましたものの、かなり複雑で使用するのが難しいことから普及はしませんでした。
 
現在のキリル文字と似ていますが、無関係の別物だとされています。
20世紀になってヤナーチェクがグラゴール文字を使用した「グラゴール・ミサ」を作曲するなど、後世にも影響を与えた文字です。
 
  • ヤナーチェク(Janáček)
「グラゴール・ミサ(Glagolská mše)」
https://www.youtube.com/watch?v=V5j9lidYsvo


2.ボヘミア王国の興隆〜宗教戦争

モラヴィア王国が約100年で滅ぶと、今度は現在のボヘミア地方を中心としてドイツの東部の一部、ポーランドの南部の一部、シレジア、モラヴィア地方を含む領域にボヘミア王国が建国されました。
 
権力の掌握を目的として兄弟、親類間でも争われていく中でプシェミスル王朝が成立。プシェミスル家の敬虔なカトリック教徒のヴァーツラフ王は、同じく敬虔で新人深いお祖母さんとともに後に聖人(聖ヴァーツラフsváty Valclav)に列せられます。聖ヴァーツラフの歌も作られ、チェコの祝日の9月28日の「聖ヴァーツラフの日」に教会で歌われるなどしている。
 
15世紀に入ると教会と、カトリック教会の行いに疑問を抱いたカレル大学の学長でもあったヤン•フスが、民衆にもキリスト教の教えを伝えるためにチェコ語で説教をする活動を行い民衆の支持を集めていました。その動向を危険視したカトリック教会からフスは異教だと焚刑に処されます。
 
その後、カトリック教会と癒着する王侯貴族へ反発する農民ら民衆と、焚刑されたフスを信奉するフス派での宗教戦争が活発化していき、ビーラーホラの戦い、乙女戦争などが断続的に生じる形ではあったものの1世紀以上に渡る長い戦乱の時代となります。
 
当時のフス教徒には、自らを奮い立たせるための讃歌集がありました。「汝ら、神の戦士ら」もその歌集の中の1曲です。
 
スメタナやドヴォジャーク、ヤナーチェクらが「聖ヴァーツラフ」と「汝ら、神の戦士ら」を活かした曲を作るなど、後世に影響を与えた歴史と音楽です。
 
  • スメタナ
    • 交響詩「我が祖国」第5番「ターボル」、第6番「ブラニーク」
フス派の拠点地だったターボルをタイトルにした第5番と、チェコの聖人が祀られているブラニーク山をフス教徒たちの霊山に見立てている第6番で引用
https://www.youtube.com/watch?v=w3ROGDNYQok
 
  • ドヴォジャーク
    • 序曲「フス教徒」
「汝ら、神の戦士たち」と「聖ヴァーツラフ」を引用
https://www.youtube.com/watch?v=atJ1AH0s0J8
 
  • ヨゼフ・スーク(1874–1935) ※孫も同姓同名のバイオリニスト
    • 「聖ヴァーツラフの古いボヘミアの聖歌についての瞑想、op. 35a」
(Meditace na staročeský chorál Svatý Václave, Op. 35a)
 
「聖ヴァーツラフ」を引用
https://www.youtube.com/watch?v=uUo_pWQEBC8


©️チェコ政府観光局デジタルメディアライブラリー、写真家:Sampajano_Anizza / shutterstock.com
 

3.宗教戦争〜ハプスブルク家の統治

長きに渡る宗教戦争の後、一度は平和を取り戻し、文化人に寛容だったルドルフ二世の治世も訪れました。
しかし、治世への不満などにより、2度の窓外投擲事件(窓から人を投げ落とす事件)を経て、30年戦争の時代へ。
一度は認められたフス派プロテスタントの存在やボヘミアの土地に息づく音楽や言語は、30年戦争でカトリック側が勝利し、神聖ローマ帝国を治めていたハプスブルク家による統治が始まりました。
それに伴い、ゲルマン化の強制などにより、思うように作曲できないと判断した作曲家らは、周辺国に亡命したり、親戚に引き取られて移住する者、亡命せずに残った作曲家、仕事のために移住したものたちは、自国内で制約を受けながら作曲を続けていく者もしました。
 

当時のチェコ生まれの作曲家

  • ヤン・ディスマス・ゼレンカ(Jan Dismas Zelenka)(1679年10月16日 - 1745年12月23日)(チェコ系ドイツ人)
『6つのトリオ・ソナタからソナタ4番G minor Allegro』
https://youtu.be/Mr3kXFRRr28?si=9IoyK3XhOeazrLQk
 
  • フランツ・ベンダ(Franz Benda)、またはチェコ語でフランティシェク・ベンダ(František Benda)( 1709年11月22日 - 1786年3月7日)
『シンフォニア』
https://www.youtube.com/watch?v=oCkyp6qUXrs
 
  • イジー・アントニーン・ベンダ(Jiři Antonín Benda)(1722年6月30日-1795年11月6日)
ナクソス島のアリアドネ
ボヘミアのバッハ家の一人。モーツァルトに影響を与えた。
https://www.youtube.com/watch?v=pFpTsdJFdw4
 
  • カール・シュターミッツ(Carl Stamitz)(1745年5月7日 - 1801年11月9日)
チェコ系ドイツ人
 
フルートと管弦楽のための協奏曲ト長調(Concerto for Flute and Orchestra in G Maj)
https://www.youtube.com/watch?v=p0cH4_umuVo
 
  • アントニーン・レイハ(Antonín Rejcha) (1770年2月26日 - 1836年5月28日)ベートーベンとは同い年で友達、ベルリオーズなどを育成した(チェコ系フランス人)
交響曲変ホ長調
バグパイプ奏者の息子、プラハ生まれ、フルート奏者。
ボンでベートーヴェンの作曲を学び、ハイドンと親交があった。
後にパリ音楽院教授に就任して、ベルリオーズ、リストなどが門下生にいる。
https://www.youtube.com/watch?v=xCH35RbIgJI&t=498s
 
  • カール・チェルニー(Carl Czerny)(1791年2月21日 -1857年7月15日)チェコ系ドイツ人、ベートーベンの弟子、自身の弟子にリストなどがいる。
『チェルニー30番』、『チェルニー40番』、『チェルニー50番』
ピアノ練習曲集で、現在でも多くのピアノ学習者が触れている。
https://www.youtube.com/watch?v=8HCs43Gcurs
 
  • オーストリア生まれでチェコと縁のある作曲家

18世紀ごろのハプスブルク帝国の宮廷の模様(イメージ)
©️チェコ政府観光局デジタルメディアライブラリー、写真家:Pavel Dosoudil
 

4.オーストリア=ハンガリー帝国時代

ハプスブルク家によるオーストリア帝国の長きにわたる統治や、ゲルマン化の時代を経て、フランス革命、ナポレオンの台頭と流刑などから、帝国主義からの民主化を求める民族復興の動きが生まれた時代に、ワーグナーやブラームスらのドイツの音楽も吸収していた作曲家たちによる、独自のチェコの歴史やチェコという国の象徴を音として表現されて、作品として生まれる動きも生まれた。
 
ユダヤ人街も認められていて、現在もユダヤ人墓地やシナゴーグが残るプラハの街。
ジプシーなどの流浪の民の入国や居住も容認されていたことから、ハンガリーなどの東欧に広く伝わったツィンバロン、ハーディガーディなどの楽器がモラヴィア地方を中心に残っている。
 
彼らは、「国民楽派」とされているが、意図していたかしていなかったかを探るために現在も研究している人たちはいるものの、社会の動きが曲として表れていたという事実は残っている。
 

スメタナ

リトミシュル城の横にあるビール醸造所で生まれ育つ。父親の影響で早くから音楽に触れて才能を開花させていく。
チェコ国内では下積み時代を経て生活が安定した時期もあったが、身内の不幸や不安定な生活から脱するためにスウェーデンへ。
その後、チェコ国内での民主化運動に旧友と共に参加した経験を経て、チェコに戻り、ドイツ語話者だったが、必要に迫られてチェコ語を必死に勉強したり、新しい職を求めて精力的に活動するも、批評家に酷評されて良い職を得られないこともあるなど、終始順風満帆ではなかった。
 
  • 全編チェコ語のオペラ「売られた花嫁」
  • チェコの伝説やチェコの風景を描き、中世に編纂されて歌われた宗教歌の旋律を使用した交響詩「我が祖国」
 
を作曲。
 
晩年は、聴力を失い、精神を病み、そのまま息を引き取った。
 

ドヴォジャーク

プラハ近郊の出身。
肉屋の息子で、大の鉄道オタク。
才能を見出されて支援を受けてオルガンや音楽理論を学んだ。
オルガン奏者や、スメタナが指揮を振るオケのビオラ奏者など、演奏者としての活動の他、ブラームスのおかげで奨学金を経て作曲の勉強を続けることができたことから、作曲家としての道も徐々にひらけていった。
 
ブラームスの「ハンガリー舞曲集」に影響を受けて、スラヴ民族の舞踊のリズムや音階を生かした
  • 「スラヴ舞曲集1番、2番」
交響曲8番
「チェコ組曲」
 
ルドルフィヌムの初代常任指揮者職を得るなどの活躍も。
アメリカへ、新しく創設した音楽院の校長職を依頼されて渡米。
  • チェコの音階とネイティブアメリカンやアフリカンアメリカンの黒人霊歌の旋律を生かした交響曲第9番「新世界より」、「チェロ協奏曲ロ短調」
 
賃金の滞納やホームシックにより、帰国してから晩年にかけては、チェコの伝説上の生き物が登場するオペラの作曲に勤しむ。
  • 「ルサルカ」
  • 「悪魔とカーチャ」
 

ズデニェク・フィビフ(Zdeněk Fibich)(1850年12月21日 - 1900年10月15日)

 

ヤナーチェク

モラヴィア地方出身。
モラヴィアの民話を収集・編纂した作家のエルベンの民話集や、モラヴィア王国時代にもたらされたグラゴール文字、日常の発話・会話・音のイントネーション、モラヴィア語の記録・収集したものを独自に研究して音に生かしていった。
 
  • 「グラゴールミサ」
  • オペラ「イェヌーファ」(全編モラヴィア語)
  • 「シンフォニエッタ」
  • 戯曲「マクロプロスの処方箋」(カレル・チャペック作  )
 
 ©️チェコ政府観光局デジタルメディアライブラリー、写真家:RVillalon / Shutterstock
 

5.第一次世界大戦、第次世界大戦

民族主義、国民主義的な動きが強かった第一次世界大戦前に後世に国民楽派と呼ばれるようになった作曲家や楽曲が多く生まれましたが、第一次世界大戦が終了し、いわゆるクラシックの曲の他、マサリクがチェコスロヴァキアの初代大統領になった頃、ジャズ、ビア樽ポルカ、子供向けの曲、戦争に出征する兵士に向けた楽曲、戦意を高揚させるような行進曲、国民体操のソコルのための曲など、全体主義を強固にするための曲など、歌曲が多く作られていった。
 

カレル・ハシュラー

役者などの多くの肩書を持つシンガーソングライター
第一次世界大戦でプルゼニュの歩兵隊に捧げるために書かれた曲
ハシュラーの他にも戦意を高揚させるための曲も多数作曲されている。
 
『35歳 花のような少年たち(1918年のヒット曲)
https://www.youtube.com/watch?v=MNDTXb9NrQo
 
 
その他
おお、息子、息子(Ach, synku synku)
https://www.youtube.com/watch?v=nZocqnfQa6E
 
ビア樽ポルカ(Beer Barrel Polka)
https://www.youtube.com/watch?v=JXAVISpS4wM
 
チェコスロヴァキア 国民体操ソコル
 
ソコル行進曲 Czechoslovak Sokol March ‘V nový život’
https://www.youtube.com/watch?v=Jv_d3DBuMN4
 
 

ボフスラフ・マルチヌー(Bohuslav Martinů)

ドビュッシーのような曲を書きたいとフランスの音楽院へ留学し、作曲活動も行う中で、ナチスドイツの台頭とチェコ人芸術家のブラックリスト登録を始め、マルチヌーもリストに載る。
知人から知らされて、スイスの知人を介してアメリカに亡命。
以降、終戦後も共産主義台頭により、帰国を断念せざるを得ず、遺体となってから祖国への帰郷を叶える。
楽曲は、ドビュッシーやフランスでの研鑽が強く影響していたため、印象派音楽を彷彿とさせるものが多い。  

6.プラハの春の終焉〜ビロード革命〜現在

クラシックやJazzなど、ソ連の介入する厳しい正常化体制の下でも活躍できたポップスターのカレル・ゴットのような存在がいました。
正常化の体制を敷く政府の意向に反すると、仕事を奪われて逮捕・収監・釈放を繰り返して、監視されながら暮らしたマルタ・クビショヴァーや、禁止されていたRockを演奏したライブ会場に押しかけられて逮捕・収監・解散に追い込まれたバンド、地下活動で検閲の目を潜り抜けたもの、検閲の目を潜り抜けられるジャンルに転向したように見せかけて活動するものと、表現の自由を奪われた状態での活動を強いられたものも多くいました。
 
1989年11月17日から始まったビロード革命は、「歌う革命」とも言われ、共産主義とソ連のプロテストソングを歌った歌手としても知られるマルタ・クビショヴァー、ポップスターのカレル・ゴットとカレル・クリルのデュオでの演奏、その他、何組かのアーティストらが、デモ行進で集まっていた多くの民衆の前でア・カペラやアコースティックギターの演奏を順番に披露しました。
 
  • マルタ・クビショヴァーのア・カペラでの「マルタの祈り」歌唱の模様(1989年ビロード革命)
Modlitba pro Martu / Marta Kubišová
https://www.youtube.com/watch?v=npMZ7UxwVgU

革命の時に民衆が集まったプラハのヴァーツラフ広場(Václavské náměstí)
©️チェコ政府観光局デジタルメディアライブラリー、写真家:Kadagan / Shutterstock.com

民主化後、チェコスロヴァキアとしての再出発から、ビロード離婚を経て、チェコとスロヴァキアの別々の国に分かれて今日にいたります。
 
共産主義から資本主義への急な転換で、共産党員だった人や、制限のある中で表現を駆使して独自の色や特徴を持っていたアーティストが多かったことから、この時代転換を知る人は、懐古したり、時代の変化についていけなくなる人もいました。
 
今日では、CDから音楽配信が主流になっていることから、現地でレコードやCDを購入できなくても、チェコのアーティストの楽曲をクラシック、JAZZだけではなく、ポップス、ロック、テクノ、ヒップホップ、メタルなどを手軽に聴くことができます。
ただ、日本語で検索しても中々ヒットしないので、チェコ語で検索する必要があります。とは言っても、チェコ語話者も、チェコ語学習者の数も限られています。
 
チェコの最近の流行りの曲などが気になるなと思った方は、český hityやčeský píšeň などのワードで検索してみてください。さらに、作曲家の名前もチェコ語を併記しているので、気になったら是非コピペして検索してみて下さい。また、私自身が好きなお勧めの曲のYouTubeのリンクを貼っているので、ぜひ、チェコの曲を色々知る機会としてご活用ください。
 
なお、名前を上げて、おすすめの曲をあげられていない作曲家、紹介を掲載仕切れていないところもあります。ご了承ください。
 
これからチェコ現地に足を運ぶ予定の方の予習や、これまでにチェコに行った方の記憶を探る作業や、日本国内でのコンサートでチェコの音楽を聴きたい方の助力になれば幸いです。私自身も、ジャンルにとらわれることなく、色んな音をこれからも探したいと思っています。
 
Děkuji vám!(デェクイ ヴァーム!)
ご覧いただきありがとうございました!
 

執筆者紹介


大橋歩美
11月27日生まれ A型
亀の歩みピアノ弾き語りシンガーソングライター
絵、スマホ写真撮影、散歩、映画、読書、展覧会(博物館・美術館両方)などが趣味
音楽や色んな体験談の他、日本にいながら学んだチェコ、知ったチェコをSNSで発信中
 
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